夜明

大学生の日々と写真

僕のホーム画面

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今年の夏に京都へ旅行した時に引いたおみくじの画像。スマホのホーム画面に設定してる。

 

おみくじって基本は100円だから、200円って言われた時は一瞬躊躇ったけど、結果的には引いて良かったと思う。

 

すごく悩んで色々と頑張っていて、新しいことに挑戦しようとしていた時期だった。内容がどこか自分のこれからの事を言ってくれていたようで、大吉が出るよりも嬉しかった。投資についても自分の甘さが出たことによって成績がかなり悪いタイミングだった。

 

願望、信ずれば叶う。仕事、諸事成果有り気力を尽くし心一つにして励め。売買、厳しく律儀にやれ。

 

「若葉の芽生えはじめの雄々しさ清々しさの如く、何事にも純なる心でただひたすら事に当たるべし。さすれば必ず道は開くものなり。」

 

このおみくじに救われたって本当に思うのはまだ少し先かもしれないけれど、そう思える未来のために頑張りたいな。人生は選択一つで変わるんだってまた思えるように。ここからは自分の頑張り次第だよなぁ。

 

映画2020

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スターウォーズ ファントム・メナス ローグワン 新たなる希望 帝国の逆襲 ジェダイの帰還 ジュマンジ 素晴らしき哉、人生 プライベートライアン シンゴジラ ソーシャルネットワーク ラストエンペラー パラサイト ダンサーインザダーク 1917 このサイテーな世界の終わり 全裸監督 ミッドサマー 傷物語123 フェイトヘブンズフィール123 ワイスピ2 マキシマムリスク ピースオブケイク 娼年 若女将は小学生 泣きたい私は猫をかぶる ザ ノートリアス ザ ジレンマ エターナルサンシャイン ミッドナイトゴスペル  イノセンス 天使のくれた時間 コードネームアンクル 僕は明日昨日の君とデートする コリアタウン殺人事件 坂道のアポロン 霊幻道士 ロミオとジュリエット 君にとどけ エヴァンゲリオンQ 幼女戦記 限りなく透明に近いブルー プロメア ドラッグストアカウボーイ 戦場のメリークリスマス イヴサンローラン イエスタデイ スティーブジョブス自由の精神 we margiela ヴァイオレットエヴァーガーデン mid90s alice 女は女である ビートルズeightdaysaweek シンドラーのリスト デヴィッドボウイ 未知との遭遇 ボヘミアンラプソディー ねじれた家 テネット インターステラー 美女と野獣 万引き家族 ヨガー聖なる呼吸 地獄の黙示録 マネーボール 博士の異常な愛情 ハドソン川の奇跡 マイインターン セバスチャンサルガド ロンドンエディンバラロンドン プレステージ 女神の見えざる手 ギルバートグレイプ グッドウィルハンティング 奇跡がくれた数式 キューブ ワンダー君は太陽 バスケットボールダイアリーズ 運び屋 somewhere

 

メモってあったのは前回の映画記事更新から84本かな。

プライベートライアン、パラサイト、ヘヴンズフィール3、ロミオとジュリエット、イエスタデイ、mid90s、ビートルズボヘミアンラプソディー、シンドラーのリストインターステラープレステージ女神の見えざる手は特別に良かったなあ。こういう映画に出会うために観てるんだって思わされた映画たち。スティーヴンスピルバーグ凄すぎやて。

 

本も100冊くらいは読めたと思う。

 

2020年ももうすぐ終わっちゃうねえ。来年は就活だからインターンバリバリ頑張って結果残したいな。もうひと頑張りしよう。

21歳になったと思ったら22歳を目前にしていた

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写真はiPhone11に変えた帰り道の渋谷。画質が上がりすぎて数万円レベルのカメラの存在意義が無くなってきて悲しい。

 

久しぶりにブログを開いてみた。

自分で言うのも何だが、自分は周囲も認める、極度の熱しやすく冷めやすい性格であり、ハマると時間の全てを捧げてしまうが、飽きてしまうと頭の中からきれいさっぱり抹消される。ブログにハマった数日間は狂ったように文章を書いていたがいつの間にか抹消されていたみたいだ。

考えをスマホのメモに記録するのと、手帳に日記形式にして考えを残しておくのは習慣になっているので長い間続いているものだが、どうにもブログ形式で少しでも周りの目を考えて、少しでも推敲をしながら文章を書くのは少し疲れる。

 

ブログを読み返していたのだが、どうにも過去に書いた自分の文章というのは小恥ずかしいもので、この感覚はものを書いている人間なら割と持っているものみたいだ。僕の好きなブロガー数人も言っていたし、二十歳の原点高野悦子も言っていたな。数年後にこのブログを読み返してまた同じ事を感じるんだろうな。

 

ハタチ、になる前は年齢というものに恐怖を感じていた。毎日毎日が過ぎていくのが、子供から大人になっていくのがすごく怖かった。

だから必死になって同年代の書いたブログを読んだり、人と話したり、原田宗典「十九、二十」、高野悦子二十歳の原点」などをはじめとした大学生が主人公の小説の読み漁っていた。若い頃に絶対に読んでおけと言われた本は全て読んだし、何が僕をあそこまで突き動かしていたのかはよく分からない。

27クラブ、というのは音楽や芸術が好きな人間なら必ず知っている言葉だ。カートコバーンやジミ・ヘンドリックスなど多くのアーティスト達が27歳という年齢で亡くなった。死因は、自殺だったり、ドラッグのオーバードーズだったり、交通事故や殺人まで多岐に渡る。

20歳の自分は老いていくのが、自由で無くなっていくことがとても嫌だった。だから27歳くらいで死んでやろうと本気で思っていた。どうやって死ぬのが一番いいのか、人生の消費期限みたいなものをずっと考えていた。腐ってしまったのに、老人となっても、のうのうと生き続けていくのは何かに対して失礼なのでは無いかと思っていた。

 

でも周りで自分を大切にしてくれる人達の存在に目を向けるようになってから、そんなに勝手なことは出来なくなってしまった。仲のいい友達たち、両親、弟、お爺ちゃんお婆ちゃん、仕事仲間。関係性は疲れるものではあるけれど、素晴らしいものだと思う。人は繋がっていなければ、他者が存在していない世界ではただ生きていくことしか出来ない。

将来は、3人くらい子供も欲しいと思い始めたし、こんな家に住んで、こんな感じに休日は過ごしたいなぁと思うようになってきた。仲のいい友達たちと近くに住んで、お互いの家に集まって大家族パーティーもしたいな、なんて思っている。そういう小さな希望が、目標が僕を生かしてくれているんだと思う。

 

9月の終わりには22歳になる。

先生、僕は金持ちの子供に勝ちたいんですよ

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何かを発信した先に、その分野について博識な方がいて、こういう事を話したら未熟だなぁとか何も知らないんだなぁとかそういう風に思われるんじゃないかって思うことが、思ってしまう自分がすごく嫌で。でもインターネットも現実も多かれ少なかれそういう場所で。確かにそれは当たり前なんだけど、そういう部分を意識するんじゃなくて、本当に伝えたい想いがあって、やりたいことがあって、そういう部分に集中してポジティブに生きていける人でありたいとずっと思い続けている。社会は本当に複雑に構成されていて、色々な考え方を持っている人たちがいて、知識がある人もない人もいる。人によって多様な価値観を持っていて同じ情報でも違う捉え方をする。そしてそれを恐れて、自分より立場が下の人間しかいない快適なコミュニティーを作って閉じこもってしまうことは簡単であるけれど、俺はそれが嫌。

 

金持ちの子供ってマジで強い。良い家系で育った人間は、良い教育を受け、良い経験をさせてもらい、必要なものは買ってもらい、コネも強い。金があると良い女と結婚することが多いからルックスまでも良かったりする。そして勝ち組の教育を受けた人間はまた勝ち組を生み出して育てていく。このループが回っているから金持ちの家系は最強。負け組は負け組ループから脱却できず、脱却する方法も知らないで生きていって、貧相な資本力で負け組をまた育てる。天は二物以上与える事の方が多いよなと最近は思うね。ブスは基本的に何やってもダメな事の方が多い。

 

なんかみんな金持ちに対して悪いイメージ持ってるけど、それは庶民が言い訳のために印象を無理やりねじ曲げてるだけで、「金だけ持ってても幸せになれない」とか、「金持ちの息子は親に甘えてロクなものじゃない」とか、確かにそういう人間も一定層はいると思うけど、それは本当に一定で、俺が出会ったりした金持ちの子供は、心の底から羨ましいと思わされるような人間ばっかりなんだよ。

そして金持ちってのは基本的に何かに優れているから金持ちになったのであって人格的にも素敵な人ばかりだし、仲間も同じレベルの思考を持っているから幸せそうな人が多い。何も知らないで家畜のように働いている庶民が一番大変だからな。

そんな人生から脱する方法はブログを書くことです!とか金融投資をすることです!この商材を買って学びましょう!とか商材屋みたいなことは絶対に言わないから、とにかく本を読もうな、自分より優れた人に会おうな、自分の目と手で色々なことを体験してみようなって事だけは高校生くらいの子には分かって欲しいかな。

 

俺はそんな金持ちの子供にも勝ちたい。

雑記

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リベラルアーツ的なものを大切にしような。教養なんて役に立たないだとか言ってバカにされたり、大学なんて意味ないとか言うアホが日本では増えてるけど、俺はすごく価値があると思う。それは全てに対して受動的でしかないからだよなぁと。まあそういう人間は批判だけは積極的にしてくるんだが。

法律、政治、経済、経営、金融、歴史、哲学、文学、語学、教育、物理、生物、化学、数学、プログラムetc.....そういうものの大きな枠組みを学んでおく事は必須だと思うし、どんな職に就くにせよ社会というものを作っている複雑な要素について僕たちは無知すぎる。それは野球のルールを、「ボールを投げること」と「打ち返すこと」しか知らないで参加しているようなものだから。他にも守備をする必要があることや戦略が存在していることを知らないと脳死でボールを投げるマシンで一生終わるぜ?結果的にそういう人間には価値のある仕事なんてものは出来ないんだよな。教養的なものを大きく学ぶこと、専門に力を入れること、たくさん遊ぶこと、本当に好きな人と恋愛すること、アルバイトとインターンをしっかり経験してみること、たくさん旅行に行くこと。これが出来れば大学生活は100点満点だと思ってる。こういうものは複利的にジワジワと効いてきて人生において大きな大きな差になる。でも若いうちからのし上がるのは才能と大衆への発信の巧さと一点特化の3つが必要だと思ってるから長期的なスパンで見ていくべきなんだろうね。

 

自分の進む道を一本にガチガチに決めすぎないこと、常識とかいう曖昧なものを思い込まないこと、予想外のことを恐れるのではなく受け入れて楽しむこと。人生は道のりを描けてなければその通りにはいかない。けど描けていようが予想外のことはバンバン飛んでくるし、それが楽しいことになることも辛いことになることもたくさんあるはず。組織とか偉さとかそういうものに囚われんなよ。そんなもん上に立ったらプラスになるけど、下にいる時点では全くもって得してねーからな。クソみたいな思い込みでチャンスを逃すな。周りは思い込みで動けないんだからそこを突破しろ。どんな時でもどんな環境でも今まで積み上げてきた自分の頭で考えることを忘れるな。そしてそんな自分を信じてあげられる自分でありてえ。

昔の俺は本当に視野が狭かった、勉強を大切だと微塵も思ってなかった16とか17の頃、勉強をbe動詞から始めた18の頃、当時は世界の全てを知ったつもりでいたけれど、全くそんなもんじゃなかった。メディアの作り出した偏見に囚われて生きてる人が特にこの日本では多くて、彼らは自分の頭で考えられているようで考えられていない。だから過去を学んで今を学んで未来を見据えて生きていくんだ。知の巨人の肩の上に立たせてもらうしかない。俺らが生きてるのは現代なのだから、今どんなものが流行っているのか、どんな世界なのか、どんな企業があるのか、どんな人がいるのか、イマをたくさん学ぶのが一番大切。

 

なんか意識高い系みたいで嫌だな。

真面目な話も好きですが

適度にふざけてる雰囲気の方が好きだなぁと。お堅い人って嫌じゃないですか。いつも真面目な話だったり、愚痴だったり、暗い話ばかりをする人。ドヤ顔で政治の話なんて振られた日には張り倒してやりたくなる。

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僕は何歳になってもおっぱいだとかちんちんで笑っていたいですし、そんな少年のような人が僕は好きです。僕の周りの頭良くて稼いでる人たちはみんなそうだし、一周回るとそうなるのかな。先日、久しぶりに仕事仲間と飲みに行ったら下ネタしか言っていなくてむしろ心配になった。でも僕は将来の話とか事業の話も大好きなので、そういう話題になるとシリアスな顔して食いついちゃう節はあったり。要はバランスだよね。みんなそういう話になると眼と顔つきが別人のように変わるんだ。そういうところに惹かれるよね。

 

ついに大学の期末テストが全て終了したので、神保町に古本漁りに行ったり、映画を観に行きたい。ポン・ジュノ映画を観たことが無く、パラサイトも評価が高いらしいので観にいこうと思う。映画1本で1500円は高いが仕方ない。大人は1900円だって言うんだから恐ろしい。そりゃ映画離れするわな。

この前、坂本龍一の自伝を読んだら、60年代の日本では100円くらいで映画が観られたらしい。現在の価値に換算しても200〜300円だと言うので驚きだ。数々の名作映画を感受性の一番高い時期にかつ安く観られるなんて、そんな幸せなことあるかなぁと思い、すごく羨ましくなった。対照的に自分は高校生の頃、映画に1000円も払えないというスタンスだったので旧作を借りてばかりいた。心の貧しい男だ。なんなら僕は60年代の雰囲気が大好きなのであの時代に生まれたかったなぁ。ジャズ喫茶で小難しい政治の本を読みながら、友人と議論を交わしたり、映画と音楽、ドラッグに浸るような退廃的な日々を過ごしたかった。でも今の僕はインターネットに育てられたようなものだからやっぱりこの時代に生まれることができて良かったかな。

インターネットが無ければ出会えない人がたくさんいたし、得られなかった情報もたくさんあったし、今の性格の自分にもなってないはず。アニメも音楽も映画も小説もエロゲも知らなかったと思う。もともと中学時代は暗かったし、偏見だらけの人間だったから。昭和から平成にかけては、親の幼少教育、進学した高校、大学の偏差値で人生はほぼ決まってしまっていた。優秀なところに入れば優秀な人間に囲まれて相互作用が働き、さらに優秀になっていく。現在も基本的にこの構図は変わっていないけど、インターネットがあることで高校、大学の外でのコミュニティが形成できるようになった。これは素晴らしいことだと思うんだ。偏差値50付近の高校って思った以上にバカばっかりなんだよね。大学もそう。

同じ趣味・仕事を持った人間と繋がれることで決められたコミュニティに縛られない、自分で自分の人生を選べるような時代になってきていると思う。僕みたいにツイッターを趣味が同じ人と繋がるために活用している人は少なかったけれど、最近は多くなってきているように思う。あと何年かしたらリアルのアカウントとは別に趣味用や仕事用のアカウントを持つことは当たり前になってくるのかな、なんて思ったりもした。僕がインターネットから受けた恩恵は本当に計り知れなく、頭の良い高校、大学に行っているわけではないので、見たことのない世界、見るはずではなかった世界に入るキッカケになったツイッターには本当に感謝しかない。

性欲と想像力と制欲

どこかで聴いた話だが性欲と想像力は比例しているらしく、優れた芸術家や起業家は性欲が強い人が多いらしい。エビデンスは知らん。

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人は欲が薄れていくと、次第に死に向かっていく。前にこんなことを聞いた。「生きていても何にも楽しいことがない。仕事もやりがいを感じない。でも、家族がいるから仕事は辞められない」。思うに彼は「生きる屍」であり、きわどいラインで文明の力によって生かされている側に立っている状態。人間は理性があるから社会を築ける側面はあるが、欲が押さえつけられすぎると、自分で何をしたいか分からなくなってしまう。グラデーションのように同じ線の上に続いており、欲を抑えた代償はじりじりと生命力を落としていくことに繋がるのだ。

僕は欲の減退は人生の終わりだと思っていて満足しないで高みを目指し続けていたい。死ぬほど強いコンプレックスがあったから今の自分があるわけで。だけど現状に対して、満足と感謝が出来ない人間は決して幸せにはならないというジレンマも存在する。折り合いをつけながら腹八分で生きていこう。

 

僕たちは動物ということをいつの間にか忘れてしまっていないか、ということをいつも考えている。動物にも人間にも感情も本能もある。もちろんそれを大切に生きるべきだ。だが、表現し、美しい何かを残すことは人間にのみできることなのだ。次の世代に何かを残せるのは人間だけだ。言語とは、想像とは、人間にだけ許された特権なのだ。人は作品を通して人生を模倣していく。小さい頃から物語によって人生は作られているもので、僕の人生に物語が無かったらどんなに薄いものだっただろうかと。芸術は人に影響を与え、人生を変える。それは大なり小なりだ。そして感じてきたものを作品に残していく。悲しいこと、辛いこと、楽しかったこと、綺麗だったこと。僕らは感情の奴隷に過ぎないのだから。


何かを残そうとしない、感情を殺してただ日々を消費しながら生きている人間は家畜でしかない。社会の家畜。牛舎に縛られながら餌を与えられて何も知らずに育って、規定に達したら社会に出荷されていく。そんな家畜に世界が変えられるかよ。
映画を作っても、音楽を作っても、本を書いても、絵を描いても、起業をしても、建物を作っても、物を作っても、プロジェクトを成功させても、人を育てても、投資をしても。人生は芸術だ。人間だけ許された唯一の表現だ。


自分の意思も無く、強制された事だけをこなす日々、そんな日々を送っている人間はただの家畜であり、自分から主体的に働く人間にしか何かを表現することは出来ない。評価は周りがするものだ。だからこそ俺は俺の哲学を持って、実存主義と社会と戦っていく。

 

何のために生きるのか?そんなもの生まれてしまったから生きるのだ。人生なんて簡単に言ってしまえば、脳内のドーパミンを放出する行為を行うだけの暇つぶしだ。だけどそれをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかどうかは人それぞれであり、そこが幸福の分かれ道なのだと思う。生まれてきて良かったぁと思える体験が誰しも1つはあるだろうし、そういうものを大切にしようなということが言いたかった。