夜明

大学生の日々と写真

性欲と想像力と制欲

どこかで聴いた話だが性欲と想像力は比例しているらしく、優れた芸術家や起業家は性欲が強い人が多いらしい。エビデンスは知らん。

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人は欲が薄れていくと、次第に死に向かっていく。前にこんなことを聞いた。「生きていても何にも楽しいことがない。仕事もやりがいを感じない。でも、家族がいるから仕事は辞められない」。思うに彼は「生きる屍」であり、きわどいラインで文明の力によって生かされている側に立っている状態。人間は理性があるから社会を築ける側面はあるが、欲が押さえつけられすぎると、自分で何をしたいか分からなくなってしまう。グラデーションのように同じ線の上に続いており、欲を抑えた代償はじりじりと生命力を落としていくことに繋がるのだ。

僕は欲の減退は人生の終わりだと思っていて満足しないで高みを目指し続けていたい。死ぬほど強いコンプレックスがあったから今の自分があるわけで。だけど現状に対して、満足と感謝が出来ない人間は決して幸せにはならないというジレンマも存在する。折り合いをつけながら腹八分で生きていこう。

 

僕たちは動物ということをいつの間にか忘れてしまっていないか、ということをいつも考えている。動物にも人間にも感情も本能もある。もちろんそれを大切に生きるべきだ。だが、表現し、美しい何かを残すことは人間にのみできることなのだ。次の世代に何かを残せるのは人間だけだ。言語とは、想像とは、人間にだけ許された特権なのだ。人は作品を通して人生を模倣していく。小さい頃から物語によって人生は作られているもので、僕の人生に物語が無かったらどんなに薄いものだっただろうかと。芸術は人に影響を与え、人生を変える。それは大なり小なりだ。そして感じてきたものを作品に残していく。悲しいこと、辛いこと、楽しかったこと、綺麗だったこと。僕らは感情の奴隷に過ぎないのだから。


何かを残そうとしない、感情を殺してただ日々を消費しながら生きている人間は家畜でしかない。社会の家畜。牛舎に縛られながら餌を与えられて何も知らずに育って、規定に達したら社会に出荷されていく。そんな家畜に世界が変えられるかよ。
映画を作っても、音楽を作っても、本を書いても、絵を描いても、起業をしても、建物を作っても、物を作っても、プロジェクトを成功させても、人を育てても、投資をしても。人生は芸術だ。人間だけ許された唯一の表現だ。


自分の意思も無く、強制された事だけをこなす日々、そんな日々を送っている人間はただの家畜であり、自分から主体的に働く人間にしか何かを表現することは出来ない。評価は周りがするものだ。だからこそ俺は俺の哲学を持って、実存主義と社会と戦っていく。

 

何のために生きるのか?そんなもの生まれてしまったから生きるのだ。人生なんて簡単に言ってしまえば、脳内のドーパミンを放出する行為を行うだけの暇つぶしだ。だけどそれをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかどうかは人それぞれであり、そこが幸福の分かれ道なのだと思う。生まれてきて良かったぁと思える体験が誰しも1つはあるだろうし、そういうものを大切にしようなということが言いたかった。