夜明

大学生の日々と写真

真面目な話も好きですが

適度にふざけてる雰囲気の方が好きだなぁと。お堅い人って嫌じゃないですか。いつも真面目な話だったり、愚痴だったり、暗い話ばかりをする人。ドヤ顔で政治の話なんて振られた日には張り倒してやりたくなる。

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僕は何歳になってもおっぱいだとかちんちんで笑っていたいですし、そんな少年のような人が僕は好きです。僕の周りの頭良くて稼いでる人たちはみんなそうだし、一周回るとそうなるのかな。先日、久しぶりに仕事仲間と飲みに行ったら下ネタしか言っていなくてむしろ心配になった。でも僕は将来の話とか事業の話も大好きなので、そういう話題になるとシリアスな顔して食いついちゃう節はあったり。要はバランスだよね。みんなそういう話になると眼と顔つきが別人のように変わるんだ。そういうところに惹かれるよね。

 

ついに大学の期末テストが全て終了したので、神保町に古本漁りに行ったり、映画を観に行きたい。ポン・ジュノ映画を観たことが無く、パラサイトも評価が高いらしいので観にいこうと思う。映画1本で1500円は高いが仕方ない。大人は1900円だって言うんだから恐ろしい。そりゃ映画離れするわな。

この前、坂本龍一の自伝を読んだら、60年代の日本では100円くらいで映画が観られたらしい。現在の価値に換算しても200〜300円だと言うので驚きだ。数々の名作映画を感受性の一番高い時期にかつ安く観られるなんて、そんな幸せなことあるかなぁと思い、すごく羨ましくなった。対照的に自分は高校生の頃、映画に1000円も払えないというスタンスだったので旧作を借りてばかりいた。心の貧しい男だ。なんなら僕は60年代の雰囲気が大好きなのであの時代に生まれたかったなぁ。ジャズ喫茶で小難しい政治の本を読みながら、友人と議論を交わしたり、映画と音楽、ドラッグに浸るような退廃的な日々を過ごしたかった。でも今の僕はインターネットに育てられたようなものだからやっぱりこの時代に生まれることができて良かったかな。

インターネットが無ければ出会えない人がたくさんいたし、得られなかった情報もたくさんあったし、今の性格の自分にもなってないはず。アニメも音楽も映画も小説もエロゲも知らなかったと思う。もともと中学時代は暗かったし、偏見だらけの人間だったから。昭和から平成にかけては、親の幼少教育、進学した高校、大学の偏差値で人生はほぼ決まってしまっていた。優秀なところに入れば優秀な人間に囲まれて相互作用が働き、さらに優秀になっていく。現在も基本的にこの構図は変わっていないけど、インターネットがあることで高校、大学の外でのコミュニティが形成できるようになった。これは素晴らしいことだと思うんだ。偏差値50付近の高校って思った以上にバカばっかりなんだよね。大学もそう。

同じ趣味・仕事を持った人間と繋がれることで決められたコミュニティに縛られない、自分で自分の人生を選べるような時代になってきていると思う。僕みたいにツイッターを趣味が同じ人と繋がるために活用している人は少なかったけれど、最近は多くなってきているように思う。あと何年かしたらリアルのアカウントとは別に趣味用や仕事用のアカウントを持つことは当たり前になってくるのかな、なんて思ったりもした。僕がインターネットから受けた恩恵は本当に計り知れなく、頭の良い高校、大学に行っているわけではないので、見たことのない世界、見るはずではなかった世界に入るキッカケになったツイッターには本当に感謝しかない。